郷土唱歌

我らが住めるこの里は、
吉野の山に近くして国栖の翁の名ととも
に歴史に知られし所なり

ー元国栖小学校長 岡田勝蔵先生作詞ー

国栖和紙

国栖に紙漉きが伝えられたのは、約1300年前
大海人皇子(後の天武天皇)がこの地に入られた
時村人達に伝え教えられたといわれています。
谷崎潤一郎先生は小説「吉野葛」で真白な
紙を乾かす風景を次の様に書かれました。

『村の人家が見え出した時、何より先に目を惹いたのは
此処、彼処の軒下に乾かしてある紙であった。(中略)

街道の両側や、丘の段々の上などに高く、
低く寒そうな日にきらきらと
反射しつつあるのを眺めると彼は何がなしに涙が浮かんだ・・・』
私達はこの美しい風景をいつまでも大切にしたいと思います。

国栖の歴史

日本書記には、国栖の土(くに)は、京より
東南、山を隔てて吉野川の上(ほとり)に居り、
峯嶮しく、谷深くとあります。

奈良時代、壬申の乱を前に大海子皇子は争いを避ける為
大津の宮から国栖にご退隠されました。国栖の翁達は
皇子に奉仕し,一説には、川辺の小舟の中に皇子を匿い
追っ手からお守りしたとあります。
 
古代朝廷と国栖人との関わりは、由緒ある芸能「国栖奏」
第三歌の歌詞にも偲ばれます。

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